ああ、ここには暖かな安らぎがあった。
優しさと思いやりと、楽しい笑顔のある場所だった。
昨日は、子どもを保育園に預けて勤めていた会社の集まりでした。
場所は、言わずと知れたサラリーマンの聖地、新橋での会合。
なんで皆、こんなに優しいの?
昔のまんま、そうだったよね、仕事、忙しかったけど、楽しかったね。
おっと、イカン、胸にこみ上げるものが・・・。
いつも殺伐とした家庭にいるので、余計にジーンとくる。
退職してから、20年近い年月が経っているのに、呼んでくれて、ありがとう!
あの時は皆独身だったけど、ほぼ全員既婚、子持ちに。
こんなにステキになるなら、あの時だれかと結婚しとけばよかった。
でも20才も年下の、年の差婚・・・いくらなんでも、それはちょっと。
同僚達は40代でも私は還暦に片足かけてます。
この職場で、一回目の夫と離婚し、
友人の紹介で「とってもいい人」を紹介で再婚した頃まで勤務していた。
娘が2才になる前に保育園に預けて働くはめになったのは、
一回目の夫が、父親として認められない、と判断し離婚準備にかかったのだけど、
今の夫と比べると、100倍よかった、と今頃思う。
かと言って、あの時点で結婚生活は持続できなかったので、
どっちにしても、離婚していたと思う。
在籍した〇〇企画部では、いい仕事をさせてもらった。
任されると、やる気のでる単純な女です。
20数年前のことで、OAをまず習得するとこから開始。
話しは飛ぶが、その数年後に崩壊した山一証券の野澤社長が取引所で・・・
山一廃業記者会見の際、「社員は悪くないですから」と泣きながら発言した。
あの時は、TVの前でわあわあ泣いてしまった。
父親が証券で退職翌日に急死だったので、少なからず、山一には思い入れがある。
山一幹部はその後、膨大な社員の整理の際、女子社員に言った。
「嘘でいいから、ワード・エクセル、なんでもできます、と言って就職しろ」
時代は変わった、OAできればなんとかなる。そんな愛情いっぱいの指示だった。
そんな時代でした。
苦労話はカッコ悪いと思う、でもこの時だけは頑張りました。
2才児が寝た後、OAの勉強、20年前はまだ若かった、今は出来ぬ事です。
そういえば、忘年会は早めに退社で保育園に迎えに行き、子連れで出席。
なので、娘は全忘年会に出席している。
保育園母の唯一の夜の街はいつも子連れ、という事になる。
社内旅行も同伴。
実家が遠方で、親の援助は受けられないから、
おたふく風邪になった時は長期休みなので、ありがたかった。
そんなこんなで育てていただき、大きくなりました。
あの後、今の夫と結婚したので。
それまでは、人生、山あり、谷ありでも、
なだらかな上り坂だったよう気がする。
急転直下、どん底へ。人生の岐路の判断は難しいものです。
楽しかったです。
まだ仕事してるの?と言われました。
流石にホントの事は言えず、
あんまりよろしくない、とだけ言いました。
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