さようなら、ありがとうございました。
とうとう、今日がやってきました。
だめ女の人生の大きな分岐点。
この家とも、産まれて育った大阪ともお別れです。
地元、大阪に戻ってきたのが、3年前、
新幹線での通いの母の介護にも無理が生じ、
元々、再婚相手とは、夫婦ではなく、同居人でしたが、
20年我慢して、子どもを育て、社会人にして、やっと一区切りでした。
後半は、金銭的にも、独立採算制だったので、
それから自分の老後資金を蓄えることにしたのだけれど、
スタートが他人より10年は遅い晩婚晩産で、
子どもが大学を卒業する時には60才。
母は、ひとり暮らしの寂しさを出すこともなく、自分を律し、私が実家に戻ることを拒否し、
何とか私の状況がよくなったらと、考えていたのだと思います。
子どもは、再婚相手の家で、成長し、その場所が、竹馬の友も居り慣れしたんだ環境だったので、
出来る事なら、子どもから、その故郷、家を奪いたくないと考え、長い間、不仲な夫の家に同居。
60才以降も、子どもの帰るあの家に住み続け、都内に通勤する生活。
子どもにも、息抜きする場所が必要だと考えたのは、間違いではなかったようで
近県でも、たまに帰って来ては、友人と会ったり、楽しい時間が持てたようです。
私の二階での別居生活も、サバイバルで、どうにかして、気分を楽しく持ち上げて暮らす毎日。
そんな中、母の認知症発症の危惧。
我慢して、30年間、ひとり暮らしを続けていたため、認知症は、明かでした。
子育てと介護が同時でなくて幸運でした。
この時点で、離婚し、大阪に戻る決心を。
子どもの意見は、都内の近くに住んだら?だったけど、
子どもは、職場もあり、友人も多く、都内で生きていけるけれど、
私の母は、私が必要な時期に来ていると判断し、子どもの意見を聞かず、大阪へ。
そして、全て終えて、今度は、また関東へ。
この家と、家族の思い出と、友人達と別れることになるので、大きな喪失感はあるものの
今、決断しないと、ここで認知症になると、
子どもは、私と同じ状況に。
関東には、30年住んで、同時に、働いていたので、なんとかなるさ、で決断。
しかし、実家を残して棲み処を替えるのは、予想以上に簡単な事ではなかったです。
一人っ子の母は、大好きだった父の急死以降も、強く生きてくれました。
この家のアチコチに母の残像があり、
若かった頃も、高齢になってからも、
認知症になって、母としてでなく、子どものような可愛い部分が出てきて、
父が母を大切にしていたのが理解できました。
素直な賢い人でした。
他人の悪口を言ったこともなく、まっすぐに大切に育ったのだと。
沢山の心配をかけてしまいました。
父には、何一つ、親孝行もできないままでした。
妹は、自分の行いで、家族も全部失ってしまいました。
もう、今日、私が大阪を離れた時点で、一生、血を分けた姉妹とも会う事はないでしょう。5才年下だったので、成人してからも、可愛がったし、旅行も一緒に行ったし、お料理も習いに行ったこともありましたが
父が連れて帰ってきたシェパードは、長い間、家族と共に
楽しい時間をすごしました。
今は、壊れて何もなくなった枝折戸、
ふと浮かんでくるのが、
愛犬の姿。もう一度、抱きしめたい。
昔は番犬で、外飼いだったので、今も、後悔して詫びています。
座敷犬なら、後2年ぐらい、長生きで来たかも。13年で見送りました。大型は寿命が短いので。
現在、アメリカでは、大型犬の成長ホルモンの研究で、長生きできる薬が開発されていると聞きました。そしたら、犬飼いはもっと幸せな時間を過ごせるかもしれません。
ここで、家族が帰って来るのを待っていたっけ・・・
かなり離れていても、臭覚がするどいので、ソワソワしていました。
キリがないので・・・・
さようなら、愛情深く大切に育てていただき、ありがとうございました。
関東で、楽しく過ごすことにしました。
母の言っていたように、
「どこに居ても、誰よりも、楽しく過ごしてほしい」を実行します。
・私の友人達に好評なのが、この仏壇です。早くそういうのを買い替えたいとのこと💦








