すっかり、戦意喪失で、くじけてしまった。
娘が帰省した時には、高価な食材は買えないから、手間をかけて、美味しい料理を食べさせたかったのに、
「美味しい!」と言わせて見せたかったのに・・・・
何!?
夜に帰ってきて、朝に帰るって・・・朝ごはんだけ食べると言う事なんだ・・・
小鯵の南蛮漬けやら、娘の好きな海の幸サラダを仕込んでおこうと思っていたのに・・
海の幸サラダは、30年前、後輩から教えてもらった料理で、上のタコやエビが入っているボールです
これの準備をしたり、子どもの頃から食べさせていた、ごはんのお供、フリカケを出そうと思っていたのに・・・・
なーーーんだ、食べないのかい(・へ・)
一気に楽しみにしていたことが消えて、挫けてしまった。やる気ゼロ。
娘の人生で、私にできることと言えば、教育には、たいしてお金はかけておらず、
私なりの、美味しい料理を食べさせ、生きる力を与える役目だと思っていたので。
もう大人になれば、遠回しにアドバイスしても、すぐ察するので、
小技を使わず、ただ見守るだけ。
2月にまた都内で転居した前、去年、ひとり暮らしの為に転居した様子だけれど、
とうとう、その住所も知らされないまま、今回の転居。
当時は、辛いこともあったので、何か、妙な宗教に入信するのではと心配で、
私も、この家で、24時間、気が休まることが無かった。
半年以上音信不通だった娘からのメールには、「職業不詳の独身になった、」それのみ💦
私の友人は、何かあってからでは遅い、首に縄付けてでも連れて帰れ、というけど、
まず、どこに住んでいるのかもわからないという状況。・・・言わないし・・・💦
言わないとなると、心配性なので、どこか、怪しい所に監禁されているのではと考えたり・・・
それから、またしばらく時間が経過。
娘は、女の子らしい娘ではないので、多分、もう一生、独身だろうと思っていたら、
友人もできたようで、
とりあえず、母としては、前向きな生き方に胸をなでおろしたところ。
親としては、誰かが娘を守ってくれたら、それだけで十分です。
私の友人で、息子がアスペ?発達障害かグレーな状態の子どもさんが居て、優秀なのですが
家は裕福だけれど、親は先に逝くので、息子の将来が心配で、
誰か、息子と共に生きてくれる人が居たら、ジェンダーでも、なんでもいいと、
本気で言っていたのを思い出した。
私も、全く同じ。
これから、どんな災害や、経済面でも、何があるか分からない。
もしかしたら、隣国が攻め込んでくるかもしれない。
とにかく、一人でなく、一緒に力を合わせて生ききってほしい。
しかし・・・親の心配等、本人はどこ吹く風。
「一緒にゴハンを食べる為に帰るわけじゃないからね、観光だから」・・・だって((+_+))
まあ、それでも、去年の夏は、大阪市内で、ニアミスのまま帰京したので、
それよりマシかも(笑)
とはいえ、肩透かしを食らって、やる気消滅。
書類の整理もそのまま・・・。
それなら・・・リアなTODOは、春の種まき。
ぐずぐずしてても仕方ないので、とりあえず、動いてみることに。
種まきだ。
種まき用のポットは二重になっているので、使いやすそうです。
朝夕は、まだ寒いので、夜は、家の中に入れようと思います。
透明のカバーもあって、初心者には嬉しい。
これなら、ヒヨドリにもつつかれないかも。
小松菜も植えました。
値段の高い紫玉葱も植えました。
紫キャベツも、紫系は、栄養価が高いので、植えたいと考えています。
無農薬ですから^^
夕方、リビングに移動。過保護な種まきです。
豆の一番生り確認。
いよいよ、冬を超えた子達が実をつけてくれます。
可愛いね、素直で(笑)
今年はイタリアンパセリが、越冬しました。元気です。
庭仕事は、シニアには、元気を与えてくれるような気がします。
草花は、手をかけた分だけ与えてくれる・・・・
ひよこ豆を使った夕ごはん適当な手抜き料理で、恥ずかしいけど・・
前日の残りのお好み焼きと、最強野菜のブロッコリーと、ツナ缶と溶けるチーズで。
私がいつも、料理が上手だなと感心しているブログは、
「カルフォニアのばあさんブログ」さんで、料理だけでなく、常に前向きな方で、
いつも力をもらっています。クリスマス料理なんて、すごかった!wwお手本です。
オープントースターで焼いただけ。
焼くときに、マヨネーズも少しかけました。
ホームセンターが遠方なので、ポチしました。
安い割には、しっかりしています。
先日庭のPHは調べたので、少し、石灰を撒いておこうと思います。
シニアブログでは、長いお付き合いのしろネコさんが、バッグンナウンの記事を読んでくださったそうで、ありがとうございます。お礼を言おうと思いつつ、遅くなりました。あのバッグ、軽いし、使いやすいですよねしろネコさんは、センスがいいので何でも使いこなせる方です。
私は、後輩から教えてもらい、買いました、人生初のナナメ掛けバッグでした。













