母さん!私の名前を呼んで!悲しみは乗り越えて

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怖かった、なので、会えなかった。

母が介護施設に入所したのは、娘の初めての出産の時刻、

当時、関東の不仲な夫の家に居て、何かあれば駆けつけるつもりで、待機。

まさか、遠く離れた大阪で母が、緊急事態になるとは予想だにしていなかった。

嫌がる母を説き伏せて、帰省の度に少しづつ介護の幅を広げていたものの、

90才過ぎて、独居というのには、矢張り無理があり、

同日、急激に、介護度、認知度が悪化していた。

娘は、正常出産なので、病院に来なくてよいと言うので、私のような高齢出産ではないし、

多少は安心し、今か今かと朗報を待っていた。

何しろ、産休に入る前日まで夜勤を勤めたバイタリティーがある。

若さというのは絶大な力だと思った。

40才手前で初産の自分の場合など、半分死にかけていたけど・・。

 

 

その日、小さな命の誕生と共に、母は緊急で介護施設へ入所。

その日、たまたま訪問看護師の訪問の日でよかった。

その状態を見て、即、ケアマネージャーに連絡、と同時に、

常にお世話になっていたヘルパーさんも同行で、駆けつけ、

わずか30分ほどで、老眼鏡から、歯ブラシ、愛用のコップ、タオル、下着、

その他の衣類の荷物をまとめて入所となった。

娘である私には、その判断の有無が来たので、

生命の安全確保の為にも、即、入所をお願いした。

その少し前に、ケアマネージャーさんから、事前に入所の説明を受けても、

母の、その頑なな態度に、ケアマネージャーさんの目には涙が浮かんでいた事もあった。

 

そして、一昨年、入所となり、娘の状態は安定していたので、

即、また新幹線に乗り、主不在となった実家へ、

そして、衣類その他、衣類ケースなどもそろえて、入所の契約の手続きに介護施設に。

その後、数回関西と関東を行き来し、

その年の暮れには、慰謝料なども要求しなかったので、

無事、最短で不仲な夫と籍を分かつことになり、着の身着のままで母の待つ大阪へ。

当初、家に帰る、と毎日、荷物をまとめていた母。

それを聞くと、辛かった。

そうだよね、父が待っていると思っていたのでしょう。

父は、母が56才の時に、退職翌日に脳出血で急死。

ただ、母の心の裡には、大らかで優しい父が待っているのだと思う。

その仏壇の横には、娘である私が関東から運んだ災害備蓄であふれかえっているけど(笑)

 

 

実家に30年ぶりに出戻ってからは、荷物の整理が済むと

築60年のボロ家の修繕、メンテナンス、リフォームなど慌ただしい毎日だった。

毎日、母の事を思い、それ以降は、施設に足を運んでも、遠くから、様子を見るだけにとどまった。

「迎えに来てくれた」と言われた時、なんと説明すべきか、自分の中で回答を見つけられずにいた。

しかし、時は残酷だ。

この状態で、永遠と続くわけでもない。

ずっと自問自答していた自分にも嫌気がさし、

友人たちの勧めをもらい、今日、直接会って、話をすることに。

介護施設の方のお話も事前に聞いて、決心し、友人に送迎をお願いし、

朝から行ってきました。

 

 

母は、小さく、丸く、柔らかな雰囲気に変わっていました。

色で言うと、彩度が薄くなった感じでした。

母の居室のチェストの中を確認し、不足が無いかを確認。

多少、施設内は、歩行器で移動していることもあるものの、

今日は、ずっと車いすでした。

「歩かないとね、歩行器でも使って、」

幼子の、立てば歩けの親心のように、今度は、その娘が母に、歩けと歩けと。

母は、私と違い、言葉使いも乱暴でなく、昔のままの船場言葉の優しい物言いのままでした。

「それで、子どもたちは元気なの?」

私、一人しか産んでないよ(笑)

「主婦だと、忙しいでしょ」・・・うん、まあね、今も勤めているしね、

元々、饒舌な人ではないので、ポツリ、ポツリと、

多少話がかみ合わないところもあったけど、

最後には、名前を呼んでくれました。

それを待っていた。

もうそうやって、誰も私の名前を呼んでくれる人はこの世に居ない。

また来るねと声をかけて、担当のスタッフの方に日常の詳細を聞く。

ずっとつっかえていたものを飲み込めた一日でした。

でも、

あの時、手をつないで歩いた母からは、想像以上に弱くなった握力。

40才手前まで、身の回りの世話を母にしてもらい、

独身を謳歌していたバカ娘としては、何が何でも、母を守ろうと再度、心に誓った瞬間でした。

 

 

もう一人のきょうだいは、同じように愛情深い両親に育ててもらい、

教育もつけてもらい、尚且つ、縁故就職まで世話をかけ、

そして最後には、母から大金を借り、私からも借り、そのまま、自己破産そして、行方不明、

母の事は、もう20年以上放置している、妹。

このことは、悲しくなり辛いので、自分の記憶から消すように努力していますが、辛いし、悲しいので、また後日。

今日、母が、私の名前を呼んでくれた事だけで、十分です。

あの時、あの童謡を歌ってくれた母、

高熱を出した私を医者へと、その細い背中に背負ってくれたぬくもり、

一人っ子で、身内も少なく、父亡きあと、30年もひとり暮らしをしてくれた母。

ごめんなさい、遅くなりました。

私は、やっと帰ってきましたよ、

もうずっとここに居るから安心してほしい。

私には、まだまだ生きている間にしないといけないシゴトがある。

明日は、人間ドッグの日、何もない事を祈る、

神様、母の命の灯が消える日まで、私を生きさせてください。

最後は、私が。

母のように首の長い水仙。
母の残した球根が庭のアチコチで咲いています。

 

梅の大木にちょこん咲いた蕾。
一人っ子の母が、大好きだった頼りにしていた父のよう・・・

 

 

明日は胃の内視鏡もあるので、早めに夕食を取りました。
カレーって、よかったのかなぁ・・・

 

 

食欲は無いので、カレーは半分食べて、サラダは全部食べました。

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