今日は、夕方から出かけるので
明日から、股寒い曇天のようなので、せっせと洗濯をしていました。
一人だから、さほど洗濯物もないけど、
洗濯機も小さいので、大物洗いが重ならないように。
昨日、同郷の40年来の友人から電話をもらい、話していて、
「ブログ、読んでて、感じたんだけど・・」
「ナンカ、寂しいよね、寂しさを感じるわ・・」
バレました。
楽しく過ごす努力はしていても、わかるらしい。
「ひとり暮らしの年金生活者って、こんなものだよ、お金もないし・・」
でも友人は、旧知の友人なので、そんな言い訳では通用せず、
「〇〇ちゃん、どうしているの?」
という問いかけにも、答えられない状況。
60代になると、親は、高齢なので、高齢の親を持つ子の心配は付き物だけど、
我が子が所在不明であるという事、
無職で、現在、職業不詳。
あの大都会で、暮らすには心配が余りある。
都会の片隅で、ひとり冷たくなっている場合もある。
実直に、コツコツと前を向いて歩いてほしいと考えているけれど、
娘からたまに届くメールは、非常に、抽象的で、
まだ、現実社会で生きていく、生きる力も全く、感じられない。
夏に来阪して、近くに居ても、
顔を遇わすこともなく帰京。
まだ、母親に現在の姿を見せたくない、ということなのだと思う。
悲劇は、突然起こる。
まさかの突然の悲しみというのは、先日の北九州コンビニ事件や池袋の交通事故にしても、
起こってしまう。
真面目に生きていても、世の中の不条理はあり得る。
その底知れない悲しみを乗り越えるしか、道はない。
30歳になった人間なので、生存の為の最低限の努力はしているだろうけれど、
努力に疲れ、放棄する場合を考えると、
私自身が、底なしの穴に落ちていくような気がするが、
何があっても、どんな状態になっても、
最後、支えるのは母親である自分だと思っているので、
私は、元気で生きていかなければいけない。
それで、この1年余り勇気と気合で
沢山の楽しい時間とチャンスを友人達からもらい、過ごしてきたけれど、
長年の友人には、お見通しだったようだ。
人間、シルバスタインじゃないけど、カケラ、凸凹を探しているのかもしれない。
でも、必ず、どこかで、
こうやって生きて行こう、と気が付いてくれると願っている。
残された者の心の葛藤は底知れないけれど、生ある者は、生きて行くしかない。
前にむかって・・・道は、進んでいく前にできるのだから。
高村幸太郎の道程を思い出す。
歩け、歩け、と。
何が起ころうと、母は、認知症なので、私が守る、
もう一人の姉妹は、行方不明。
どのような状況なのかもわからない。ただ、家族がいる筈。
そうなると、己自身だけが頼りなので、自分が病に倒れては、支えが必要な人間の役にも立たない。
私は、生まれ持った性格が、根暗なではないので、
明るく、楽しく過ごしていこうと思う。
まだ、役目は終わっていない。
そうなると、楽しい時間を過ごしたい。
母が、病気になる前、言っていたのは、
「自分の子どもは、どこで暮らしていても、誰よりも、楽しく笑って暮らしいてほしい」
図らずも、私も、娘にはそう思う。
緊急ボタンを押したらいつでも飛んでいくよ、
沈んでいないで、まず、浮上してほしい。
母さんは、今日は、浮上してきます💗