ここ数日、小春日和が続いているけど、
立春は、2月3日、後10日足らず。
節分は、2月2日、日曜日。
今年もまた、節分がやってくるのだな・・・と思っていたら、
昨夜は、父の夢と、飼っていた犬の夢をみました。
夢でみなくても・・・毎年、毎年、思い出す。
私の可愛い鬼、
豆回収犬でした。
ヨウムと豆回収の競争。
たくさんたくさん散歩しました。
やさしい優しい賢い子でした。
この子が逝ってしまってから、早いもので、今年、10年になります。
まだペットというか、私にとっては、もう一人の成長の早い娘なので、
ペットとは呼べないかな・・子を失くした母ですね。
当時は、娘が大学4年生で、春には(国試が受かった場合)就職で、
一緒に暮らせる最後の年でした。
当時も、不仲な夫は生活費もくれずゴルフ三昧で、変わらず、ケチで細かく、
最後の夏も、犬の為に冷房なんて入れるか、で、
だめ女はフルタイム都内勤務。
何とか、交渉して、一番暑い時間帯から、タイマーでON。
それ以外の時間帯は涼しい場所を選んで移動してくれていましたが、
純毛を着ているので、バリカンで、ラブラドールのトリミングしたり・・。
しかし、ケチはペットの寿命を縮めますね。
あの夏、しんどかったと思う。
やっと、去年ぐらいから、愛犬の写真を見れるようになりましたが、
ペットロスというのは、想像を絶する深淵ですね。
夏ぐらいから、状況が変化してきたので、ちょうど、16才でした。
私は、勤め先を退職し、看病することに。
毎日、大きな体の向きを変えたりしながら、2人で、外を眺めていました。
完全に寝たきりになったのは、最後の3日ほどで、
歩くこともままならないのに、
自分の力で、庭で用を足したいというので、
後ろ脚から腰を持ち上げるベルトで釣り上げ、庭へ。
徐々に、食欲が消え、
最後は、ミキサー食になりました。
それでも、母親の声を追って、(視力はほんの少し)
撫でてもらううとホッとするようでした。
最後の3日は、寝たきりになりましたが、
殆ど苦しまず、旅発ちました。
そして、悲しみと号泣の日々を超え、春には、娘が就職で入寮。
16年、いつも一緒にいた愛犬も逝ってしまい、
空の巣症候群も吹っ飛んでしまいました。
残るは、変人の不仲な夫。
今迄、娘と夫の間に入っての気苦労はなくなりましたが、
オジジは、加齢とともに、その変人ぶりは拍車をかけ、
とにかく、危害を与えられないように二階で避難。
友人達は、アンネフランクみたいな生活を止めて、早く大阪に帰って来いと言うけど・・・
とにかく、次は、娘が結婚するまでは、ここで頑張らないと!褌の紐を締め直した年でした。
愛犬の看護で、退職したものの、
食べて行くために、
娘が社会人になり、これから、やっと老後の蓄えに移るので、春には、娘と同時に、就職。
それから、8年の月日が過ぎましたが、
その間、母の認知症や、身体介護が浮上し、新幹線介護の日々も、
今、思えば、母の介護と愛犬の看護が同時期でなくてよかったです。
こういうのも・・・もしかすると、神様が、その時期をづらしてくださったのかもしれないですが。
どちらにしても、愛犬を見送ると言うのは、
信じがたい悲しみなので、
犬友は、平均寿命の数年前に、次の犬を飼っていましたが、
私には、それができなかった。
犬も、特に大型犬は、次の犬だ・・・と気が付くようなので、無理でした。
この腕の中で抱きしめて、見送るまでは・・・・。
ところが、見送ると、晩婚、晩産のだめ女は、当時60才、
母の介護もあり、期を逸してしまいました。
というか、もう、あの悲しみは耐えられなかった。
この家に引越してくると、父と一緒に夢に出てきた歴代の愛犬の残像もあって、
まだアチコチに出て来る気配(笑)
これは、喜んでいる顔です。
娘は猫を飼ったらというけど、
これから、階段を上る様に高齢になっていき、
もし生きていても、最後まで、面倒がみれるかと考えると、
確かな裏付けもないので、踏みとどまりました。
しかし・・・思えば、この10年、いくつもの辛い事を超えてきましたが、認知症でも、生きてくれている母の存在が大きいです。
私は、野菜でも植えて、楽しもう・・という事に。
豆が伸びてきたので、
ヒモで誘引しました。
もし、食糧難になっても、誰かの為に役立つ野菜作りです。
今年は、春に、サツマイモも植えようと計画中です。
多分、南海トラフが起こっても、この小さな庭の畑の高さまでは来ないと思うので。
ヨウムと飼い主のオヤツ、アーモンドが届きました。
一袋は、冷凍しました。美味しいです。