とうとう、逝ってしまった💧
無事、四十九日の法要を終えました。
朝から、和室の掃除をして、僧侶のお迎えの準備。
朝迄雨が残っていて、暗いので、雪見障子を開けると、ガラスが埃だらけ。
また慌てて、拭き掃除。
いつもは、荷物が多い部屋で、友人が来てもそのままで平気だったけれど、
母とも最後のお別れになるのだから・・・綺麗に片付けて、気持ちよくなりました。
僧侶は、神戸から来訪の時間より少し早く到着されて、
身支度の後、法要の儀に。
火葬場での読経以来で、四十九日までの時間の経過を早く感じました。
特に、何かの宗教の信者ではないけれど、
子どもの頃から、親のたとえ話などで、慣れ親しんだ仏教が根底にある様に感じます。
例えば、「嘘をついたら、閻魔様に舌を抜かれるよ」等、子ども心に怖いと思ったものでした。
僧侶のお話では、
四十九日は、亡くなった故人が、あの世に向かって、今世から旅立って行く日で、
三途の川に歩んで行くと、川のほとりで、一番近しい人が待っているそうで、
母の場合なら、母の大好きな夫、父が待ってくれているのだと思います。
「父さん、長い間待ってくれて、ありがとう。」
「母さんをお願いするね。」
そして、一緒に、審判を受け、天国か地獄に向かうそうです。
母は、良人なので、父と同じく天国だと思います。
もしかしたら、母の両親も待っていたのかもしれません。
以前、母が、
「何か一つ望みを叶えられたら・・・・私ね、母にもう一度会いたいの」と言っていたので、
会えたかもしれません。
母は、一人っ子で、両親に大切に育てられ素直に育った人でしたが、
私の出産時に実家に帰ると、母親がくも膜下で倒れ、その後、2年ほどで亡くなったので、
さぞかし、心細かったと思います。
ただ、父が優しい人だったので、母は、父だけが頼りだったのだと。
その近しい人たちとも再会し、母は、とうとう逝ってしまいました。
亡くなってから、慌ただしい日々を過ごしてきたけれど、
今日、本当に、この広い家に、ポツンとひとりぼっちになったのだなと感じました。
今日までは、お茶をお供えしつつ、「ゴメンネ、遅くなって咽喉乾いたでしょ」
「母さんの好きな美味しいオヤツ、買ってきたよ」
などと、毎日話しかけていましたが、
とうとう・・・逝っちゃったんだ・・・・
そう思うと、寂しさも倍増。
もう私を見守ってくれる人はこの世には居なくなりました。
僧侶の話では、百箇日までは、この世からの気持ちが届くので、
あの世で、迷っていても、
ここでお祈りしていると救われますよ、という事なので、
私は、これからも、毎日、母に・・・・ついでに父にも(笑)
母を見失わないようにしてよ、と声かけつつ両親に手を合わせることになると思います。
今日は、長い間、読経をしていただき、お話も聞けて、
簡素な見送りだったけれど、区切りの四十九日はお願いしてよかったです。
母の納骨の事についても、色々、教えてくださいました。
呆れた話、私は我が家の宗派も知らなかったので、慌てましたが、
真言宗だと言う事は、一応、娘にも伝えておこうと思います。
でも死んだら、もう終わり、ですけどね。
母は、父に会えていいな・・・と朝からずっと考えています。
もう、私も、長女として頑張ってきたけれど、ちょっと疲れちゃった。
今、私があの世に逝ったら、父にも母にも会えて、
長子だから、生まれたあの頃のように、3人で会えるのかも。
楽になれるのかもしれない。
嘘つきで、ひどい行いをしてきた妹は、可哀そうだけど、天国には行けないだろうし・・・・
僧侶を見送った後、
空腹だったことに気が付き、
そうそう、ひとりで、精進あげしよう・・・・と駅前に。
先日TVで美味しいと取り上げられていたお店に行きました。
大阪王将のエビチリが美味しいそうなので、
母に、エビチリ、作ってあげたらよかったな・・・と考えつつ、いただきました。
先日種を撒いた野菜の小松菜が、グングン成長し、
今日、紫玉葱も発芽しました。
夕食は、巻きずしで済ませる予定です。
玉ねぎの芽は細いヒョロヒョロでした。
お寺さんのお話を聞くのは、不思議と心が安らぐものですね。
和室の仏壇迄遠いので、
食卓のテーブルに小さな仏壇があれば、毎日、一緒にごはんを食べられるのかも(笑)
いつか、小さな仏壇に買い替えようと思います。
今日は朝から、ポチポチを連打して品切れにならないうちに、済ませました。
食料供給困難事態対策法が施行されたので、制限がかからないうちに準備しておくことにしました。
野菜は出来るだけ自由自足を目指すけれど、
鶏は飼えないので、・・・ニワトリってなつきますからね、飼いたいけど・・・
今日は、とりあえず、3本ポチしました。