人間の死時って、
寿命だったのよね、悲しいけど、
そう言う風に割り切るしか、
どうにも整理がつかない非情さだ。
麻央さんのブログの様子から、
7月大歌舞伎は、見届けられると思っていたけど、
病巣の、それは、外から計り知れないのようだ。
生にどれだけ執着があろうと、
召される時期がやって来る。
「お看取りで自宅だったんでしょ」
医療従事者にとっては、死はいつも身近にあるから、
冷静に判断できるけど、
どうにも、割り切れないな。
若くしてこの世を去るとは、
どれだけ、思い残す事の多い事だろう。
実家の父は、
退職翌日に脳出血で、わずか1日半でこの世を去った。
昭和一桁というのは、今の日本経済の土台を作ったであろう年代で、
よく働いた。
ふっと糸が切れたような死に方だった。
全く、看護も介護も出来ず仕舞だった。
病気とは無縁の達者な人で、
そして、家族に、他人に、皆愛情深く、
トイレ掃除のオバサンにまで声をかけていたようで、
葬式には、知らぬ父の一面も知る事となった。気さくな人だった。
自由自在やらを、買ってきて、よく一緒に関数を使わず解いた。
早くに、輸入雑貨を我が家に持ち帰り、母を喜ばせ、
週に1度の休みには、子を連れてハイキング。
そんな父親を持った悲劇で、
学歴とかでなく、そこらの男と結婚が出来ずにいたファザコンが出来上がったが、
30才過ぎて、まだ親に孫の顔どころか、
バブル期に実家独身OLを楽しんでいた。
まさか、そんなに早く死ぬとは、計算外だった。
しかし、父は父で、
母と旅行に行こうとパンフを準備していたようで、
整理していると、色々と出てきた。
なんとも悲しい。
さあ、これから、という場合でも、
神さまと言うのは、容赦なく召される。
それはないだろ、と憤りと落胆でいっぱいだが、
麻央さんは、召された。
死後、30年経って、
特別仲のよかった母は、
やっと寿命だったんじゃない、と言えるようになった。実に30年だ。
ご冥福をお祈りします。
どうか、どうか、心やすらかに。しかし、悲しすぎる。
コメント
麻央さん、ですよ。
ありがとうございます。見直して、今、気が付きました。失礼しました。
そうですね、、特に若くして逝ってしまう方々と出会うと 私の寿命の1年寄付出来たらと思うことも多々あります。
麻央さんは みんなに注目され励まされ特別ですが ほとんどの方は家族と静かに または1人でこの世を去ります、いろんな思いや力尽きて、、。残された家族や人は何年経っても悲しみと心の傷と同時にいい思い出を胸に秘めて ずっと生きていきます、人前ではもう元気そうに見えても 本人たちは言葉にすると崩れ落ちそうな不安定な気持ちを隠して 上手く笑えないのに笑って生きようとします。お母さまは30年かかったんですね。生きてる以上 頑張っていくしかない、どうせなら笑って終わりたいですね、難しいけど(笑)
みかん様、
そう思います、最後は笑って人生を終えられたら、素晴らしいと思います。
私は親不孝が多く、せめて、親よりは長生きして見送る、
それだけは、健康管理して実行しようと思っています。^^
海老蔵さんより、お母様がどんなお気持ちかと考えたりすると、
痛い辛い思いをしつつも、耐えて笑顔を見せていたお嬢さんが、
その痛みから解放されたという事、自分の娘に置き換え、つい考えてしまいます。
きっとあちらの世界は心地よい楽しい世界なのでしょうね。